2015年01月20日

起こるべくして起こった勝利

米ツアーが掲げたキャッチフレーズに「Anything possible.(何だって可能だ)」というのがあった。「不可能なことなど何もない」「何だって起こりうる」「何だって起こしうる」という意味「何だって」の「何」は、もちろん「いいこと」「いいもの」を指している。だが、この世の中では、起こってほしくないことまで起こってしまう。ソニーオープンで予選落ちしたロバート・アレンビーが、その夜、バーのトイレで数人に拉致され、暴行を受けて金品を奪われた恐ろしい事件は、言うまでもなく、決して起こってはならないことだ。暴力を受けた顔面はひどい状態だったが、命が助かったこと、そして今後のゴルフのプレーに支障をきたすような重大な損傷がなかったことは不幸中の幸いだった。

 「大怪我しなかったことに感謝し、心配や激励をくれたみなさんに感謝します」という声明を出し、「米本土に戻って次週のヒューマナ・チャレンジに備えたい」とすぐさま復帰する意志を示したあたりは、いかにもガッツに溢れるアレンビーらしかった。

 さて、ゴルフの世界に話を戻すと、今週は米欧両ツアーで「へえ~、こんなことが起こるもんなんだ~」という展開が見られた。

 欧州ツアーのアブダビHSBC選手権。ドイツ人のマーチン・カイマーが独走し、圧勝すると思われていた。だが、そのカイマーは最終日に「75」の大崩れ。そして、1つ前の組で回っていたフランス人の新鋭、ゲリー・スタルが10打差をひっくり返し、逆転優勝を遂げた。

 カイマーはメジャー2勝の強者。スタルは世界ランク357位で同大会にやってきた若者。カイマーは「ショックだ。言葉が見つからない」と唇を噛み、スタルは「信じられない」と驚き混じりの喜びを噛みしめた。何だって起こりうるのがゴルフ。あらためて、そう痛感させられた。
 
 米ツアーのソニーオープンではジミー・ウォーカーが2位に9打の大差をつけて圧勝した。ウォーカーと言えば、先週のカパルアで松山英樹と最終組を回り、勝利に最も近づいていながら終盤になって乱れ、結局、追撃してきたパトリック・リードとのプレーオフで敗れたばかりだった。悔しさを噛みしめながらマウイ島からオアフ島へ移ってきたウォーカー。オアフに来たときと去るときでは「気分が全然違う。先週できなかったことが今週はできる、できたと感じられたことが、うれしい」と、今度こそ喜びを噛みしめた。

 優勝するためには運も必要だと言われる。大物カイマーの大崩れと無名の新人スタルの猛チャージが同じタイミングで起こったこと、その結果、スタルが逆転優勝を遂げたこと。そこには、偶然が重なったという運によるところが多分にあった。だが、ウォーカーの先週の惜敗と今週の優勝は、偶然や運よりも彼の日頃の心がけや鍛錬によるところのほうが大きい。
 
 2001年にプロ転向。以来、下部ツアーで腕を磨いた。米ツアーに昇格後も勝利はなく、陽の当たらない世界で10年以上の歳月を過ごしたウォーカー。しかし、見方を変えれば、彼は地味ながらも米ツアーに身を置き続け、チャンス到来をじっと待っていたのだ。
 
 昨季のフライズコム・オープンで初優勝を飾ると、そこから先は突然変異でも起こったかのようにソニーオープン、ペブルビーチ・ナショナル・プロアマを続けざまに制覇。瞬く間に通算3勝を挙げ、フェデックスカップランク1位に上り詰めた。
 
 それでもなおウォーカーはメジャー優勝のようなビッグタイトルを口にすることはなく、「安定性こそが大切」と言い続けていた。優勝争いと予選落ち、上位と下位を交互に繰り返す大波ゴルフより、「毎週、着実に4日間をプレーして、トップ10、トップ15を続けていきたい」。そんな安定性を彼は常に目指してきた。安定性を維持することでチャンスが到来する。派手じゃなくても、地味で着実な姿勢にいつか一筋の光が差し込む。ゴルフも人生も、それは同じだ。

 先週も今週も――。去年も今年も――。そんなウォーカーの優勝は、驚きではあったけれど、彼の生き様を振り返れば、それは起こるべくして起こった勝利だった。



Posted by 栗原 at 11:20│Comments(0)
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